成田軍のイチオシ!

忍城攻防戦ノムコウ。

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みなさん、こんにちは!

本日7月14日は
映画『のぼうの城』でおなじみ忍城の戦い!
その末に忍城が開城した日でございます。

1ヶ月に及ぶ水攻めに耐えた忍城でしたが、
小田原城が7月6日に開城した後、忍城も開城、7月14日に豊臣軍に引き渡されました。

そんな忍城おもてなし甲冑隊の
観光PRの拠点ともなっています"忍城"を
今回は改めてご紹介しようと思います!

忍城は、
1478年(文明10年)頃、地元の豪族であった成田氏が、この地を支配していた忍一族を滅ぼし、築城したといわれています。
北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっており、守り易く攻め難い城であったことから戦国時代には関東七名城の一つに選ばれました。1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の折、石田三成の水攻めに耐え抜いたその湖面に浮かぶような姿から、浮き城と称されました。

豊臣秀吉軍との戦いに耐え、
落ちない城として名を広めた忍城ですが。
実は、あの軍神 上杉謙信にも幾度も攻め込まれ、1574年(天正2年)には上杉謙信に忍城が包囲され、城下に火を放たれたこともありますが、その全てに耐え抜いた歴史も存在します。

守り易く攻め難く!
そして映画でも大活躍!
武勇に長けた我らが武将様方!

名実共に、落ちない城!それが忍城なんです。

開城後は、徳川家康の関東入部後、
四男 松平忠吉が忍城に配置され、以後忍藩十万石の政庁となった。

これに因み、「うまい、うますぎる!」でおなじみ、行田名物"十万石まんじゅう"が命名されています!

1639年(寛永16年)に老中 阿部忠秋が入ると城の拡張整備が行われ、当時の"忍城御三階櫓"はこの時に建てられています。

その後、
1823年(文政6年)に阿部氏が白河に移り、桑名より松平忠堯(ただたか)が城主となりました。

忍城の城下町は、中山道の裏街道宿場町としてや、利根川の水運を利用した物流拠点としての機能を兼ね備えて繁栄し、江戸時代後期からは、ご存知!足袋の産地として名をはせるようになります。

廃藩置県に伴い廃城となり、城内の構造物はほとんどが撤去され、城跡は公園として整備され、1949年(昭和24年)10月には本丸跡に行田市本丸球場が造られ、後に球場が移転し、1988年2月17日にその跡に現在の行田市郷土博物館が開館致しました。

忍城おもてなし甲冑隊は、
土日祝を中心に、こちら行田市郷土博物館にて、戦国演舞パフォーマンスを披露させて頂いております!

是非、行田市観光の1つとして、
忍城にもお越しくださいませ!
お待ちしています!!

忍城おもてなし甲冑隊事務局

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