正木丹波守

もうすぐ #長親命日 である。丹波

更新日:

最近日中は暖かい日が続いておるが

明日から師走に入るな。

成田家筆頭家老

正木丹波守である。

先ずは先の、

第三回「はにわ、つくっちまうか!」

に御参加くださった皆々、誠に有難う。

此度も初参加の方がお越しくださったり

皆様楽しんで埴輪作りをおこなった。

私にとって皆の笑顔が何よりの宝である。

そして皆上手!

個性溢れる此度の作品は年明け

1月27日完成予定だ。新年の楽しみが増えたな。

 

さて、此度は長親と共に埴輪を作ったわけだが。

 

正木丹波守と長親は幼き頃よりの友がらである。

「友」と呼ぶには今更気恥ずかしいものがあるが、

幼き頃より忍の地で育ち、そして天正18年。

石田三成率いる豊臣方との忍城攻防戦があり

本城・小田原城が落ちるまで守り抜いたのだ。

 

ここまでは映画「のぼうの城」をご覧いただければより詳細にわかることであろう。

此度はこの後の話だ。

 

私、正木丹波守は忍城攻防戦後は武士をやめ

私が守った佐間口に和尚を招き

「高源寺」を開基いたした。

現在も、行田市佐間にあり、丹波の墓もある。

敵味方共に忍城攻防戦で没した魂を弔った。

その翌年に自身も没する。

 

そして、長親。

長親も色々あったようでな。諸説あるのだが、

いずれにせよ晩年は尾張国(愛知県)にて

剃髪し隠居の身となった。

菩提寺は愛知県名古屋市の大須にある

「大光院」で、墓碑は千種区にある

平和公園の大光院墓地に。

慶長17年12月4日が命日である。

 

とまあ、

バラバラとなりて余生を過ごした訳だが、

現在はまた共に行田の魅力を伝えるべく

励んでおる。

今の行田の一番はやはり足袋であろうな。

無論これからもPRに励んで参る。

 

が、きたる12月4日は少し過去を偲んでも

良いのではないかな・・・と。

 

このブログをご覧くださった皆様でツイッター

などをやっておられる方は是非4日は、

#長親命日

と付けて写真のひとつでものっけてくだされ。

 

正木丹波守

Google AdSense

Google AdSense

-正木丹波守

Copyright© 忍城おもてなし甲冑隊 , 2018 All Rights Reserved.