久しぶりの晴天にご機嫌!!
太陽大好き!!酒巻靱負にございます。
本日は午前に「行田よもやま話」を披露いたしましたが皆様もう見られましたかな?
足軽あおちゃんとしげ爺から行田の魅力や昔話を聞けるこの「よもやま話」を見ていると400年前のことを思い出しまする。
天正18年、忍城攻防戦時に私、酒巻の初陣に力をそえてくれた足軽と村人。
共に守り抜いた我らが居城忍城。
そんな忍城の歴史についてほんの少し振り返ってみることにいたしましょう。
関東七名城に謳われた忍城は
文明10年に成田顕泰様によって築城され、以降100年余りの間、成田家の居城となったのです。
天正18年(1590年)、石田三成を大将とする豊臣軍2万の軍勢が忍城に攻め寄せてきた際も
関東の城が続々と豊臣軍の手に落ちる中、忍城は本城である小田原城の開城まで持ちこたえたのでございまする。
小田原落城まで陥落しなかったのは忍城だけで、
水攻めにあっても城が沈まなかったことから「忍の浮城」と称されましたぞ。
守りやすく攻めにくい難攻不落の城であったからな。
江戸時代に入ってからは、三方領地替えにより
松平氏、阿部氏、松平氏と城主が変遷。
阿部正武殿が城主であったころ(元禄15年)に御三階櫓や二階櫓など近世城郭として整備も進められたのです。
また、文政6年に伊勢桑名から移ってきた松平忠堯殿が城主となった際には
現在郷土博物館に保存されている忍の時鐘もともにこちらにやってまいったのです。
酒巻がこっそり兵書を読むときに行く鐘楼には、
現在レプリカの鐘が飾られておりますが、本物は郷土博物館でご覧いただけますぞ!!
忍城は明治維新の際に残念ながら取り壊されてしまいましたが、
忍城本丸の跡地に往時の面影を再現した忍城址を再現。
御三階櫓も再建され、当時の面影を見ることができるのでございまする。
もっと忍城のことを知りたい?
ならばぜひとも忍城址へ足を運んでくだされ。
そして「行田よもやま話」で足軽あおちゃんから今の行田の見どころを、
そしてしげ爺が語る昔々の忍城の物語などたっぷりと聞いてみてくだされ!!
行田市忍城で皆様にお会いできるのを心待ちにしておりまする!!
酒巻靱負