村人しげ爺

三方領地替について

更新日:

忍城おもてなし甲冑隊も今年の7月30日の浮城まつりで7周年を迎えることができました。村人の参加は今年からではございますが、今後ともご声援よろしくお願い申し上げます。

ところで、江戸時代には、幕府が大名を全国各地に異動させる今でいう人事異動のようなものを行っていたのじゃが、この中には3つの大名の間で玉突きのように領地替を行うこともあったのじゃ。これを三方領知替といったのじゃ。また、三方領地替以外に、4つの大名が玉突きのように領地替となったこともあって、これは4方領地替といったのじゃ。このような領地替は、幕府による大名の統制と力を削ぐことが目的であったのじゃな。

忍藩でも1823年に三方領地替が行われたのじゃが、これは当時の忍藩のお殿様が白河藩へ、白河藩のお殿様が桑名藩へ、そして桑名藩のお殿様の松平忠堯様が忍藩のお殿様に領地替となったのじゃ。

この時、松平忠堯様にとっては、寝耳に水であったそうで、7代100年にわたって治めた桑名の地から藩士やその家族約5,500人が忍の地まで引っ越して来ることになったのじゃ。引越しの費用は全部自分持ちでやらねばならんのじゃ。幕府は一文も出してはくれん。だから、この引っ越しに膨大な労力と費用がかかったことは、想像していただければおわかりになろうというものじゃな。

ところで、今忍城にある鐘楼には、この時松平忠堯様を持って来られた鐘がつるされておるのじゃが、この鐘はレプリカと申して偽物じゃ。

本物は重要文化財なので、行田市郷土博物館の中に大切に展示されておるから、忍城に来られた折には見ていってくだされな。

また、鐘楼の鐘を突く機会が毎年12月31日の大晦日にあるということのようじゃ。

ところで、江戸時代には、このような幕府による三方領知替が1845年(弘化2年)までに11回も行われておるのじゃな。そのたびに領地替を命令されたお殿様は慣れ親しんだ地からたくさんの費用をかけて引越しをしなければならんのだから、お武家様方にとっては大変な時代であったものじゃな。

そこへいくと我ら村人の百姓は、忍の地に留まって畑を耕し、自然を愛し、天の恵みの作物を作るというごくごく当たり前の生活を送っていればよいのじゃから、このような平和な暮らしに感謝しなければなるまいて。

しげ爺

 

Google AdSense

Google AdSense

-村人しげ爺

Copyright© 忍城おもてなし甲冑隊 , 2022 All Rights Reserved.