足軽あお

”城代”になる!!~その後~

投稿日:

梅雨真っ只中の行田市よりこんにちは!
足軽のあおでございます。

しとしと降る雨を眺めていると
427年前のこの時期、豊臣の大軍勢が忍城へ攻め込んできた時の事を思い出します。

歴史の教科書にも載っておらず
テストにも出る事は(おそらく)ない我らの歴史。

でも知っておいて損はない!…はず。

 

1590年6月7日。

成田長親様が忍城城代になって以降何が起こっていたのか…

簡単にご説明いたしましょう!!

長親様が城代になるまでの出来事は『”城代”になる!!』をチェック!

 

1590年6月14日

・石田堤が完成
・武蔵国の鉢形城が開城

三成は莫大な財力で人を集め、
わずか1週間で総距離28km(14kmという説も)の堤を築いたと言われております。

忍城戦記にも

「近国近隣近郷の農人商夫児童等、端的に数十万人相集まり、昼夜を分たずして土を持ち運ぶ」

と記されている通り、とてつもない人数で堤工事を行なったのですよ!

 

1590年6月16日

・石田堤が決壊し三成の陣を襲う

突貫工事であった事に加え、折からの大雨によって堤が決壊。
三成の兵に甚大な被害が及びました。
この時領民の一部が堤を壊したとか壊してないとか…。

決壊したとされる場所は行田市と鴻巣市の境に位置する「堀切橋」がある場所。

現在この橋は「公益社団法人土木学会選奨土木遺産」に認定されておりまする。

 

1590年6月下旬~7月上旬

・八王子城開城
・真田昌幸、信繁親子が忍城攻めに加勢
・甲斐姫様が真田親子と相まみえる

戦が激しくなっていく中、姫自ら鎧兜を身に着けて出陣。
真田勢を討ち取り、豊臣軍の侵入を阻止したのでございまする!

さすがは甲斐姫様!!

 

1590年7月6日

・小田原城開城

度重なる攻撃にも耐えていた小田原城も、鉢形城や八王子城といった支城が次々に開城した事。
秀吉によって”石垣山一夜城”が築かれ、士気を失った事をきっかけに開城。

後に各守り口を守っていた武将様方にもその旨が伝えられました。

北条家が陥落し豊臣秀吉による天下統一がなされたのでございます。

 

1590年7月14日

・忍城開城

本城である小田原城が落ちた後も籠城を続けていた忍城。
しかしながらこれ以上の戦は不要となり、ついに開城となりました。

 

1590年7月16日

・忍城が石田三成に明け渡される

これにて忍城攻防戦が集結。
氏長様に従う事を許された一部の重臣以外は忍城を出る事となりました。

 

…その後

・甲斐姫様は秀吉様の側室となって大阪城へ
・長親様は剃髪し尾張の国へ
・丹波様は戦没者供養のため高源寺を開基
・和泉様や靱負様、そして足軽や村人は史実に残っておりませんが、今一度忍の地を耕し平穏な生活を

そして四百数十年後の今。

忍城おもてなし甲冑隊として集結したという訳でございます。

 

行田市には我らが守った忍城本丸跡地や

石田三成が陣を張ったとされる丸墓山古墳など

歴史を感じられる場所がたくさんございまする。

 

ぜひ行田を巡って歴史を体感してみて下さいませ!

 

そして”忍城おもてなし甲冑隊”に会いに来て下さいませ!

 

足軽 あお

Google AdSense

Google AdSense

-足軽あお

Copyright© 忍城おもてなし甲冑隊 , 2023 All Rights Reserved.