人間足元が肝心!!
甲斐姫様、成田家、そして忍の地を守るため
いついかなるときも俊敏に動けるよう足元を冷やさないよう日々気を付けて鍛錬している足軽の蓮(れん)にございます。
先日10月8日は「足袋の日」
甲斐姫様のブログでもおっしゃっておりましたが
和服を着ることが少なくなった現世ですが 和服を着て足袋を履く機会が多くなる季節を前に10月の8日を
日本足袋工業会が”末広がりで縁起のいい日”として1988年に「足袋の日」と制定しました。
当たり前のように呼んでいる「足袋」
どうしてこうよばれるようになったのだろう? 靱負様「足袋検定に参加した私が教えてあげましょう!」蓮「靱負様!!」 靱負様「『倭名抄』にはこうあるんだよ。
『町人は鹿皮を以て半靴を為る。名付けて単皮(たんび)と日う』と。」 蓮&あお「単皮(たんび)???」 靱負様「そう!その単皮が転じて『たび』になったといわれているんだよ。 または旅をする時に履くから「たび」と呼んだという捨てがたい説もあるんだ。」 蓮「なるほど~」和泉様「足袋の形が鼻に似ているということから「多鼻」で「たび」になったという説もあるんじゃよ。」 あお「えー!?ホントですかぁ?」 和泉様「どう見ても象の鼻じゃろ!!」
靱負様「・・・・。日本全国の足袋の生産量の80%は我らが行田市で生産されていたんだよ。 行田市は良質の木綿の産地であることから、江戸時代に藩主が下級武士に内職を奨励して足袋の生産が始まったんだ。」 蓮「最近また行田の足袋は注目されていますもんね!!」 先日の靱負様ブログでも紹介されておりました池井戸潤先生著の小説「陸王」や素敵な柄足袋。 あお「蓮さん!百聞は一見に如かずです!!行田足袋を見に行きましょう!!」 和泉様「いまから???」
そんなわけであお先輩とともに行ってまいりました。 題して・・・ 「足軽あお&蓮が行く!! ~行田をめぐる足袋の旅!!」 今回は「創作足袋 千代の松」さんにお邪魔いたしました。
その様子は・・・・ また次回に!! つづく