正木丹波守

夜襲日記~「真田丸」にて描かれた「醍醐の花見」と忍城の歴史~

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今晩は、成田家一の家老
正木丹波守である。

残暑見舞い申し上げまする。

スイカ1

皆、息災か?ともに体調管理には充分に気を付け、夏を乗り切ろうぞ。
スイカ2※写真はイメージです。軽トラ朝市、出陣時

夏バテせぬように体力をつけるため、修行も欠かしてはならぬ。

さて、
大河ドラマ「真田丸」では、忍城攻防戦が描かれた時期はすでに過ぎておるが、
その後も、実は我々に関連するとされる事項も描かれていたのだ。

先月末放送された、ドラマの中で描かれていた豊臣秀吉殿が
慶長3年(1598年)に醍醐寺で花見を催した時の事である。

埼玉新聞にて、数年前の今頃の時期に掲載された記事を遡ると
醍醐の花見その醍醐の花見に姫が列席し、詠んだ可能性のある短冊が、
京都市伏見区の醍醐寺に保管されていることが分かったと掲載された。

---醍醐の花見--------------------------------------------------------------------
豊臣秀吉が1598(慶長3)年3月、真言宗の醍醐派総本山の醍醐寺で行った
歴史的に有名な花見。秀吉は花見のために700本の新しい桜を植え、
三宝院の建物と庭園を造り、盛大な宴を開く。息子の秀頼や正室の北政所、
側室の淀、三の丸らをはじめ1300人以上の侍女が参加したといわれる。
その2年前、京都や大阪を襲った大地震で、秀吉のいた伏見城内で約600人
の女性が亡くなっており、彼女らの冥福を祈る意味もあったとされる。
秀吉は花見の5カ月後に病死。最後の豪遊としても知られる。
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忍城は、天下統一を目指して小田原攻めに打って出た豊臣秀吉の大軍を相手に奮戦。
しかし、従っていた小田原城の北条氏が秀吉に降伏したため、
成田氏は城を明け渡し、甲斐姫はのちに秀吉の側室になったとされている。

記事によれば…

和歌が詠まれた「醍醐の花見」には秀吉、世継ぎの秀頼、
正室の北政所(きたのまんどころ)、側室、前田利家とまつ夫妻らと
1300人以上の侍女が列席した。

短冊は縦36・5センチ×横5・5センチ。国の重要文化財に指定されている。
歌は計131首。秀吉、秀頼から始まり、120番目に甲斐姫が詠んだと思われる和歌がある。

「合おひ乃松毛としふり佐くら咲 花を深雪能山農のと気佐」-。

秀吉が招待した女性らによる華やかな花見の宴の様子を歌っている。
歌は変体仮名文字で書かれ、署名には「甲斐」ではなく、「可(か)い」とある。
 
醍醐寺の学芸員田中景子殿は
「当時、女性が文字を書く時は変体仮名を使っていたので、
署名が仮名でも不思議はない。しかし『かい』が甲斐姫であるかは史料がないため、
同一人物であるかは分からない」と説明する。
 
一方、山名さんは、短冊の歌を甲斐姫が詠んだとする根拠について、
隣の119番目の短冊に「い王(わ)」と署名されている点を挙げる。

「『い王』は、一族の成田助直(すけなお)の娘・小石(おいわ)の方ではないか」

小石の方は秀頼の側室となり、奈阿姫(なあひめ)を出産。
奈阿姫は出家後、天秀尼(てんしゅうに)となるが、
彼女を長年養育したのが甲斐姫だったとされる。

「偶然ではなく、成田家と血のつながりのある『かい』と『いわ』が
一緒に列席したとみてもいいだろう」と山名さんは説く。
 
さらに、二つの短冊の字体が似ている点にも注目。

「5、6歳の小石が歌を作るには無理がある。小石を身内の子として、
大変かわいがっていた甲斐が代詠、代筆したとも考えられる」と指摘する。
 
山名さんは短冊を見て「甲斐は小石と一緒に秀吉の天下が続くことを願い、
秀吉の栄華の一こまに身を置いていたのでしょう。やっと彼女の気持ちに
直接触れることができたような気がします」と語った。

 

とのこと。記事より抜粋した。

ドラマでは当然、姫も花見に列席した旨のことは描かれてはいない。
然しながら、こうしたことを機に忍城の歴史を知るきっかけになればと思う。

仮に事実だとして、姫は当時、何を思っていたのだろうか。

往時に思いを馳せる。
私は忍城攻防戦の翌年、この世を去っていたゆえ、
現代に甦り、此の事を知ることができたのは有り難き事。

記事が掲載されてから数年経つ。
姫に関する歴史研究が進み、さらなる裏付けが発見され、
DSCF1313史実と認定されることを願うばかりだ。

我々、忍城成田軍に関する歴史的資料は、残念ながら少ないのが実情。

こうして事ある毎に、忍城に関する歴史を語り継ぎ、
少しでも、行田市の活性化に繋がることを期待したい。

また、行田市は今月初旬、埼玉県より「歴史のみち景観モデル地区」に選定された。
景観モデル地区※今月中旬の埼玉新聞より

埼玉県では、市町村、NPO等と協働して、旧宿場町などに埋もれている
歴史的景観資源を保全・活用する「歴史のみち広域景観形成プロジェクト」に
取り組んでいる。このプロジェクトを推進するため、「歴史のみち景観モデル地区」を選定し、景観まちづくりの啓発活動や景観重要建造物の指定など景観法の活用を支援している。

今回、これまでの妻沼地区(熊谷市)、吾野宿地区(飯能市)、深谷宿地区(深谷市)、
鴻巣宿地区(鴻巣市)、蕨宿地区(蕨市)の5地区に加え、
新たに忍城址(おしじょうし)周辺地区(行田市)及び
粕壁宿(かすかべじゅく)地区(春日部市) を景観モデル地区に選定。

市外で忍城をPRする際に伝えているが、忍城は明治維新の際に壊されたが、忍城本丸の跡地に往時の面影を再現した忍城址が整備されこの事業に対し、「'93さいたま景観大賞」や「 都市景観大賞」が授与されている。

此度、選定されたことにより、行田市のさらなる発展の契機になれば幸いである。

こうしたことも伝えていく事は、観光PR隊としての役割。
日々行田市を魅力的に伝えて参る。

ゴミ捨て軽トラ朝市※軽トラ朝市出陣時

催し事は、綺麗な状況を保ち気持ちよく楽しもうぞ。

催事といえば…
本日、事務局からのブログでも投稿されたが
あお愛知県岡崎市の岡崎公園に「忍城おもてなし甲冑隊」より足軽あおが単騎で出陣。
「グレート家康公『葵』武将隊」の皆様と共におもてなしを行う。

出陣をきっかけに、一人でも多くの方が、行田市に興味を持って頂けるよう。
あおの武運を祈る。
明日、岡崎公園に伺う予定の方々、援軍の程、宜しく頼む。

 

今宵は以上、よき夜を。

正木丹波守利英

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