成田氏長

或る忍城城主の1日〜天正18年7月6日は小田原城が開城したと言われる日。篇〜

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皆の衆御機嫌よう、忍城城主・成田氏長である。

日に日に暑さも増して本格的な夏を迎えようとしておる。
梅雨明けの発表は未だのようであるが、熱中症対策などは抜かり無くするように。

行田市ではテレビのニュース特集などでも連日放送されている様であるが、蓮が絶好調に見頃である!
みなすぐ観に来るように!!!

20160701-DSCF5059「甲斐姫」の初日(朝7時撮影)
20160701-IMG_5364「甲斐姫」の2日目(朝8時過ぎ撮影)
20160703-DSCF5405「甲斐姫」の3日目、ここまでくると花弁は閉じる事はないそうじゃ…
「甲斐姫」は他の蓮と違って3日しか咲かない・咲く時間は早かったり遅かったり・ほとんど花弁が開かない日もある。などと、愛娘の甲斐ちゃんのようにじゃじゃ馬である、だからこそ愛おしい!

さて、本日は6月7日…そう、タイトルにもあるが、天正18年の7月6日は小田原城が開城(北条家が豊臣家に降伏)した日である。
先般、話題のNHK大河ドラマでもその様子が描かれたわけであるが、まぁ賛否両論あるようじゃのう。

2年前の「軍師官兵衛」では黒田官兵衛が説得し無血開城、「真田丸」では真田信繁が説得し無血開城…

本当はどっちなのであろうなぁ?

儂としては、行田市の史書にも残っておるように真田信繁は忍城攻めに加わって欲しかった所であるが、主人公であるしな、
一応、黒田官兵衛が使者として開城の説得を行った事実はあるようじゃが、儂的にはそれはあくまで表だっての交渉だと思っておる。(あくまでドラマ内の話じゃ)
その表での交渉の裏には信繁のように暗躍する者達が沢山いた、そして今回の大河ドラマではその暗躍した(であろう)部分を描いた。というのが折衷案?ではなかろうか。

まぁ、そこで大事なのはその時忍城では・・・!?

まだ、戦ってました!!!

小田原城が開城したのが7月6日・・・
忍城が開城したのは・・・7月14日

なんとおよそ一週間もの間、粘りに粘っておったのじゃ…
儂は戦わずに開け渡せと指示したのじゃが、奴ら負けず嫌いなのであるな…

降伏しなかったのが、のぼうの城の様な人情なのか、ただの意地なのか、北条に対する忠義なのか。
そこは皆の想像にお任せするとしよう。

まあそんな戦国時代も今となっては良い思い出。

この平成の世では織田信長も明智光秀も仲良し、豊臣秀吉と我々北条方の成田軍も仲良し、勿論、攻めてきたであろう真田家と成田軍も仲良し。

なにせ本日は足軽のあおが8月に催行予定のグレート家康公「葵」武将隊とのコラボ企画ツアーの下見に行かせてきたのじゃ。

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ほらこの通り。

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ツアーの案内役として上田城の見処をしっかり調査してまいったようじゃ、折にふれてあおからも報告があるかもしれぬぞ。

20160706-20160706-IMG_5557しかし、この表情攻める気満々な感じがする(汗)

そんなツアーのあれこれ企画、成田軍でも皆で軍議を開き、楽しい物を提供できそうじゃ、
まだまだ悩んでおる者がおったらさっさと申し込んでくだされ。
ちなみに儂が考えておるのはバスの中でツアー参加者限定の映像作品なんかを披露したりできたら面白いかな?など考えてるぞ。

では、今宵はこの辺で…

 

成田氏長

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