成田氏長

或る忍城城主の1日〜鴻巣の勝願寺を訪ねる。篇〜

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皆様御機嫌よう、忍城城主・成田氏長である。

すっかり初夏の天候じゃが皆はちゃんと体調管理出来ておるか?
暑いからといって薄着で寝たりはしておらんか?
こういう時期に体調を壊すんじゃ、皆養生する様に。

さて、5月も終盤に差し掛かり、春の行楽シーズンも一段落と言いたい所であるが、行田ではまだまだ楽しい催しが目白押しじゃ。
忍城成田軍の動向を要確認してくれ。

さて、今日はちょっと足を伸ばし、隣町の鴻巣市にある「勝願寺」へと行って参った。
なに、仕事じゃ。

それに鴻巣市さんは昨年度から度々忍城おもてなし甲冑隊をご贔屓にしてくださっておるのじゃ。
先週も長親が「こうのす花まつり」に招待されておったしのう(ゆるキャラとして)

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あんまり仕事してなさそうにしてるのはきっとゆるキャラとして出陣しているからじゃ…(汗)

ということでちょこっと紹介するぞ。

勝願寺

住所:〒365-0038 埼玉県鴻巣市本町8丁目2−31
JR鴻巣駅からは女性でも徒歩10分程
駐車場も10台程止める事は可能

鎌倉時代、第4代執権で、壇越北条経時が鎌倉の光明寺開山の良忠に登戸の地を寄進し、一宇を建立した事に始まる。その後、清厳上人が1573年(天正元年)に現在の場所に再興したとされている。1593年(文禄2年)に徳川家康が鴻巣で鷹狩を行った際に勝願寺を訪れ、二世住職円誉不残上人に感銘を受け、様々な宝物を寄進、また三つ葉葵を使用する事を許可したといわれる。 家康は、1597年(慶長2年)、1601年(慶長6年)、1604年(慶長9年)にも鷹狩を行い、1601年に訪れた際には、 家康の次男結城秀康の越前移封によって、領主不在となった結城城の御殿、御台所、太鼓櫓、築地三筋塀、下馬札、鐘などを寄進した。御殿は百十四畳敷きの大方丈「金の間」、九十六畳敷きの小方丈「銀の間」に分けられた。大方丈は将軍来訪の際に使用されたことから「御成の間」とも呼ばれ、将軍以外の使用を禁じられていたという。

Wikipediaより引用

とまぁ、Wikipediaからざっくりと引用したのじゃが、何と言っても「三つ葉葵」がいたるところにあるわけじゃ。
当時仏閣とはいえ、将軍家の家紋を使用するなんぞそれはもう大変名誉な事であったり、悪い輩も寄り付かなくなるわけじゃ…
その風格は流石というか、正直広くて大きくて儂びっくりしたもん。

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この前を往く方と比較してくだされ、大きさがよくわかるであろう?

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この様に本殿や門などには三つ葉葵の紋がふんだんに使われておる。

そして忘れてならないのが

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そう、このお寺には「小松姫」が眠っておるのじゃ・・・

勿論、写真も撮ったしいつでも紹介出来るぞ?
じゃが、それじゃあつまらん。

なので儂決めた。

忍城おもてなし甲冑隊、6月12日(日)の午後はここ勝願寺に出陣する。

グレート家康公「葵」武将隊の小松姫も!

 

12日(日)という事は・・・そうじゃ、午前中は古代蓮の里で田んぼアートの田植え体験の日じゃ!

なので儂決めた。

グレート家康公「葵」武将隊の小松姫にも田植えしてもらう!

 

良いじゃろ?
大将まつり→田植え→鴻巣市「勝願寺」で自身のお墓参り。

2日間、たっぷりと堪能してもらおうじゃないか!
領民の皆も楽しみにするとよい。

 

 

では、今夜はこの辺で。

 

成田氏長

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