忍城城主・成田氏長の娘甲斐にございまする。
こちらは行田市の隣町、熊谷市の龍淵寺。
忍城を築き拠点を移す前の事。
現在の熊谷市上之には成田氏の館があり、成田氏はこの地に居所を構えていたと言われておるのじゃ。
忍城主成田家代々の菩提寺であり、
龍淵寺は成田家時公が開基したと伝えられております。
53代目のご住職さんに案内してもらい、本堂に上がらせて貰いました。
成田氏の足跡を記した、全9巻(10冊のうち)からなる成田記。
豊臣秀吉の忍城攻めは5巻~8巻まで、わし甲斐姫の活躍も記されております。
天正10年における、成田家の家臣について記録された
成田家人分限帳には酒巻靱負の名前が。
分限帳とは家臣の地位や給料等が記された、名簿のようなものじゃ。
昭和25年におきた火災で、銅鈴や成田氏系図も火を受け
ほとんどが焼失してしまったため残っているのはこれらの資料のみ。
本尊の奥には、龍淵寺を開山した和庵清順(わなんせいじゅん)大和尚の位牌と座像がございます。
御詠歌を唱えに龍淵寺に集っていた、梅花講員の皆さんとご住職さんとお写真も撮りましたぞ。
外に出て、屋根を見上げると真ん中に【丸に三つ引きの紋】が!
成田家の家紋じゃな。
写真には写っておりませぬが、右に永平寺、左に総持寺と両本山の家紋。
その後成田氏の墓まで移動し、お墓参りをしてきたのじゃ。
わしと長親の墓は龍淵寺にはございませぬが、私の父上
成田氏長のお墓がございまする。
その父、泰季が眠っているとされる場所。
宝篋印塔は左から長泰、氏長、家時。
2基の5輪塔は不明。板碑は重長の子房長の墓でございます。
線香をあげ、墓碑の前で皆それぞれ合掌。
成田家時公のお墓にも行き、ご挨拶。
※成田系図や成田記等の資料や成田氏の墓は、熊谷市指定文化財史跡にもなっております。
成田家のご先祖様の供養をし、冥福を祈るとともに我等成田軍が無事に暮らしている事を報告してきたのじゃった。
甲斐